今後の日本の公立小学校における
国際理解教育のための外国語教育の
授業の在り方について
( 2002年1月 )
はじめに
昨今、世間では「国際化」が国民の当然の義務のように囃し立てられるようになってきている。テレビを見ても、新聞や雑誌などを見ても、その言葉を全く聞かない、又は見ない日はないといっても良いだろう。都会の街で外国人を見ないで1日を過ごすことは難しくなっている現状である。
国際化は何も、近代になって急に始まったものではない。古代から国と国の交流はあり、そこでお互いに影響を受け合ってきた。しかしこの50年間で、科学テクノロジーの急激な進歩によって情報や交通の利便性は飛躍的に高まり、現在私たちはその恩恵を享受して日々を過ごしている。この変化は、「国際化」にも大きく影響を及ぼした。様々な要因から政治的・経済的・情報的・文化的・人的に、世界の国々はより広く、多彩に国際化することとなったのである。その中でも一般の人々がこれから深く関わっていくであろうものは、情報・文化・人の国際化である。
このような時代に対応していくにあたって、新たなソフトとハードが必要になってきていると私は考えている。1つ目のソフトとは、外国語の運用能力のことである。これは決してアメリカナイズやヨーロピアナイズではなく、今自分たちに必要なものを取り込もうとする積極的選択であるべきである。実際問題日本語は第2言語としての習得が困難な言語のひとつであり、他国と対等の立場に立って客観的に考えた時、どの語族にも比較的習得の容易な英語をベースに他の言語をも学ぼうとする動きはとても自然なものであるだろう。要は歩み寄りの精神の重要性である。ここでいくつかの問題点が挙げられることもあるが、それについては本論の中で述べることとする。
2つ目のハードとは、異文化への心の耐性や柔軟性である。国際化とは、異文化を鵜呑みにすることでも、ましてや自国の文化を押し付けることでもない。異文化に吸収されたり順応したりするのではなく、お互いの差異を理解した上で認め合い、相手の良い所は取り込むように努力する事のできる柔軟性が、今求められているのである。この時当然必要になるのは、相手に自分を主張することのできるだけの自文化及び母国語への深い理解と自信である。自分を知り、認めることのできない人に異文化を客観的に評価して認めることは不可能だからである。そして異文化の人間とコミュニケーションを図る上で、このハードはソフトよりもはるかに重要になってくる。なぜならソフト、つまり言語はただの手段であって、実際にコミュニケーションしているのはハード、つまりその人間だからである。
今までに述べたような外国語運用能力や異文化への柔軟性は、誰しもに求められているものである。例え外国人と決して接触することが無く、外国語を使うことはなかったとしても、年齢文化、性文化、地方の文化などという意味での異文化に接することはいくらでもあるだろう。最近は「生涯学習」などというものが見直されており、様々な場所で異文化理解教育等も行われるようになってきている。
ところで、外国語教育や国際理解教育に使われている「教育」とは一体何であろうか。教育は迷走していると言われる昨今、それについて考えることは困難且つ重要であるが、基本的にそれは、学習を促し、導き、手助けすることであると私は考えている。よって教師の役割は「教える」(知識を与える)ことではなく、「子どもたちが自ら学ぶきっかけを作り、助けること」であるという事になるだろう。では「学ぶ」とはどんなことであろうか。それは決して「頭で覚える」事ではない。「理解し、心から納得する」ことである。そうやって学んで始めて、それを実際に実践の場で活用、または応用することのできる能力が備わるのである。先日、とある場所で「楽習」という言葉を目にした。「音を楽しむ」音楽と同じように、「学ぶことを楽しむ」という意味であろう。特に小学校での教育においては、前述したように子どもたちへの動機付けが大切であり、そのためにも「楽習」は非常に重要であるといえる。それは中学・高校へ進学した時に、自ら学ぶ姿勢を形成する初めの一歩だからである。最近の学校事情から見て、このようなただの知識の伝達者ではない、真の意味での教育者の必要性が高まってきていると、私は考える。教育の場において大切なのは、そこでなされる内容はもちろんであるが、教師その人であることを忘れてはならない。実際に学習者に接して影響を与えるのは、ひとりひとりの教師であるからである。
この論文では、第T部で日本の文化や言語、人間についての特徴・問題点・課題に触れた後、日本の小学校における外国語教育及び国際理解教育の現状について見ていく。それから視点を変えて、人間教育の側面から効果的な授業作りのベースとなる諸能力向上の方法について触れて実際の授業の中でどのような取り組みができるのかを考え、最終的に第U部では今後の日本の公立小学校における国際理解教育のための外国語教育の授業の在り方について、それまでの章を踏まえ、提案や具体例を交えて述べていくことにする。
まだ新学習指導要領は正式実施されていないが、前倒しで英語の授業を取り入れている小学校は多い。2001年度で30%、2002年度で60〜80%とも言われている。そこではどちらかというと外国語教育に重点がおかれがちであるようである。内容が具体的なため、指導がしやすいから、あるいは効果測定が容易で評価基準がはっきりしているからであろう。しかし前にも述べたたように、より大切なのは児童の精神的成長である。そのことを念頭に、前述した教育観の下、今後の国際理解教育のための外国語教育における授業の在り方や方向、方法、その他の条件などについて、探ってみようと思う。